金谷拓実が松山英樹に続くアマ優勝。 「“心臓がない”みたい」な逞しさ。
- 2019/11/22
- 11:27
身体よりわずかばかり大きい、真っ赤なチャンピオンブレザーに西日が溶ける。
プロツアーの表彰式に出るのは初めてではない。日本オープンの3回を含め、ベストアマチュア賞で列席したこと多数。とはいえいつも隣にいるはずの優勝者が、この日は他ならぬ自分だった。
静岡・御殿場での三井住友VISA太平洋マスターズで、東北福祉大に通う21歳の金谷拓実が初優勝を飾った。
アマチュアが日本男子ツアーを制したのは1980年の倉本昌弘、2007年の石川遼、'11年の松山英樹以来4人目(1973年のツアー制施行後)。直近の8年前、同じ東北福祉大の2年生だった松山もここ御殿場で歴史の扉を開いた。
2001年のワールドカップで、タイガー・ウッズが伝説的なチップインイーグルを決めた18番パー5。先輩と同じように最後はイーグルで締めくくったのも何かの縁かもしれない。

身長172cm。体重は高校時代に比べて10kgは増えても72kgと、体格的に恵まれた部類には区分されない。大会4日間の第1打の平均飛距離(各ラウンド2ホールで計測)は284.38ヤードで全体の40番目だった。
それでいて、金谷のアマチュアキャリアはここ10年の男子選手を見渡しても抜きんでている。2015年に日本アマチュア選手権優勝、同じ年に日本オープンでローアマチュア獲得。どちらも17歳という最年少記録が残る。昨年はアジアパシフィックアマチュアを制して、今年のマスターズと全英オープンに出場した。ついには8月、R&Aが設定する世界アマチュアランキングで1位に座る、松山以来2人目の日本人選手になった。
その松山をして、金谷の強さは「メンタルでしょう」という。
ふたりは2年前の春、初めて日本でプライベートラウンドをともにした。今年は一緒にメジャーにも出場。試合での直接対決はないにしても、その様子を眺めてこう評す。
「いつも表情が変わらないじゃないですか。“心臓がない”みたい」
……。“強心臓”という定型句を封じられたことはさておき、彼の精神的な逞しさをより知るのは同世代のライバルたちである。
金谷の2つ年下、日体大1年の中島啓太は中高生時代からしのぎを削ってきた。ナショナルチームではたびたび一緒に遠征に出向き、昨年のアジア大会団体で優勝。個人でも金メダリストになった19歳(現在)は、この御殿場でも最終日に63を叩き出した。3日目の金谷に続いて大会のコースレコードに並んでみせたのだから頼もしい。
中島の平均飛距離は301.88ヤードで全体3位。すらりと伸びた体躯から放たれるロングドライブも魅力だが、これまで何度も金谷の勝負強さを痛感してきた経験もある。
プロツアーで優勝争いをする先輩の姿に「(金谷が)初日に3オーバーと出遅れても……。なんなんですかね(笑)。もうぜんぜん驚かない」と思わず嘆息する。
「金谷さんは周りを見てしまう立場にいると思うんですけど、それで自分の100%のプレーを心がけているところが強いんだと思います。調子とスコアは比例しない。調子が悪くても、金谷さんには(優れた)アプローチとパターがある」
ふたりと一緒に昨年アジア大会を制した米澤蓮(よねざわ・れん)は東北福祉大の2年生。今年5月の男子ツアー、ダイヤモンドカップでプレーオフまであと1打というところまで迫り、2位の成績を残した。
大学ではもちろんチームメイト。プロの大会でも一緒に出るときのウエアのコーディネートは金谷が決める。米澤は「プレースタイルも似ていると思うんですよ。そんなにどっちも距離が出るタイプでも、そんなに“ガンガン行く”タイプでもない」と先輩との共通点を挙げた。だから「似ているからこそ“何か”が僕には足りないと思うんです」と言った。
プロになってからの長いキャリアを考えれば、いつまでも見上げてばかりはいられない。言葉に焦燥感が滲む。
「その何かが分かれば……その何かが分からないから苦労しています。でも、一番いい手本が目の前にいる。金谷さんはすべてゴルフについて考えながらやっているという印象がある」
ゴルフはスイングや弾道の豪快さや美しさを競う採点競技ではない。「なぜか分からないけど、スコアは少ない」という強さは、このスポーツの勝敗を左右する本質だ。
技術はもとより強靭な精神力ばかりが目立つようで、金谷はエリート街道を突き進むなかで、日々の事象を真摯に受け止めてきた。
2週前の学生の大会では団体戦で初日のスコアが振るわず、翌日にレギュラーメンバーを突然外された。「初めてでした」と言うが、そのとき「自分には驕りがあった」と素直に解釈した。その姿勢は後輩にも伝わる。米澤は「ある意味では、金谷さんもヒトなんだなって。マシーンみたいだと思っていたんで。誰にでも悪いときはある。僕にそういうことがあっても当たり前だと思った」とうなずいた。
男女のゴルフ界ではたびたび、世間との認識にズレが生じるのだが、金谷は今を時めく畑岡奈紗や渋野日向子と同じ“黄金世代”にあたる。今年はその同い年の選手をはじめ、2つ下の中島と同じ“プラチナ世代”もプロツアーを盛り上げた。古江彩佳がアマチュア優勝を飾り、直後に安田祐香らがプロテストを通過した。
一方で、ナショナルチームで一緒だった実力者でも“不合格”に終わった面々に目が行く。中島は「ゴルフは甘くない、厳しい世界だな……と金谷さんと話していたんです」と明かす。世代を引っ張るエリートは、早いうちから海の向こうに目をむけつつも、しっかりと足元を見て日常を過ごしてきたのだった。
表彰式のおよそ1時間前、金谷はタイトルを争ったショーン・ノリスに1打ビハインドで終盤に入っていた。残りは4ホール。自分のプレーを終えた中島はリーダーボードを眺め、ペットボトルのお茶を口に含ませて言った。
「ウィニングパットを観に行きます。1打差、いけますね。(金谷は)ここから強いと思います」
相手がプロであろうと、兄貴分の逆転を疑っていなかった。
米澤もまた、自身のホールアウト後に応援に加わっていた。18番、金谷が「ミスショットだった」という池越えの第2打にロープサイドから「GO!! GO!!」と声を浴びせ、7メートルのイーグルチャンスに拍手をして喜んだ。
「僕もきょう、同じようなところから(イーグルパットを)入れたんです」
グリーンに向かって再び歩き出して続けた。
「だから、決める」――。
歓喜の瞬間は数分後に訪れた。

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プロツアーの表彰式に出るのは初めてではない。日本オープンの3回を含め、ベストアマチュア賞で列席したこと多数。とはいえいつも隣にいるはずの優勝者が、この日は他ならぬ自分だった。
静岡・御殿場での三井住友VISA太平洋マスターズで、東北福祉大に通う21歳の金谷拓実が初優勝を飾った。
アマチュアが日本男子ツアーを制したのは1980年の倉本昌弘、2007年の石川遼、'11年の松山英樹以来4人目(1973年のツアー制施行後)。直近の8年前、同じ東北福祉大の2年生だった松山もここ御殿場で歴史の扉を開いた。
2001年のワールドカップで、タイガー・ウッズが伝説的なチップインイーグルを決めた18番パー5。先輩と同じように最後はイーグルで締めくくったのも何かの縁かもしれない。

「“心臓がない”みたい」
身長172cm。体重は高校時代に比べて10kgは増えても72kgと、体格的に恵まれた部類には区分されない。大会4日間の第1打の平均飛距離(各ラウンド2ホールで計測)は284.38ヤードで全体の40番目だった。
それでいて、金谷のアマチュアキャリアはここ10年の男子選手を見渡しても抜きんでている。2015年に日本アマチュア選手権優勝、同じ年に日本オープンでローアマチュア獲得。どちらも17歳という最年少記録が残る。昨年はアジアパシフィックアマチュアを制して、今年のマスターズと全英オープンに出場した。ついには8月、R&Aが設定する世界アマチュアランキングで1位に座る、松山以来2人目の日本人選手になった。
その松山をして、金谷の強さは「メンタルでしょう」という。
ふたりは2年前の春、初めて日本でプライベートラウンドをともにした。今年は一緒にメジャーにも出場。試合での直接対決はないにしても、その様子を眺めてこう評す。
「いつも表情が変わらないじゃないですか。“心臓がない”みたい」
……。“強心臓”という定型句を封じられたことはさておき、彼の精神的な逞しさをより知るのは同世代のライバルたちである。
優勝を争う先輩に「ぜんぜん驚かない」
金谷の2つ年下、日体大1年の中島啓太は中高生時代からしのぎを削ってきた。ナショナルチームではたびたび一緒に遠征に出向き、昨年のアジア大会団体で優勝。個人でも金メダリストになった19歳(現在)は、この御殿場でも最終日に63を叩き出した。3日目の金谷に続いて大会のコースレコードに並んでみせたのだから頼もしい。
中島の平均飛距離は301.88ヤードで全体3位。すらりと伸びた体躯から放たれるロングドライブも魅力だが、これまで何度も金谷の勝負強さを痛感してきた経験もある。
プロツアーで優勝争いをする先輩の姿に「(金谷が)初日に3オーバーと出遅れても……。なんなんですかね(笑)。もうぜんぜん驚かない」と思わず嘆息する。
「金谷さんは周りを見てしまう立場にいると思うんですけど、それで自分の100%のプレーを心がけているところが強いんだと思います。調子とスコアは比例しない。調子が悪くても、金谷さんには(優れた)アプローチとパターがある」
後輩・米澤が感じる「何か」の差。
ふたりと一緒に昨年アジア大会を制した米澤蓮(よねざわ・れん)は東北福祉大の2年生。今年5月の男子ツアー、ダイヤモンドカップでプレーオフまであと1打というところまで迫り、2位の成績を残した。
大学ではもちろんチームメイト。プロの大会でも一緒に出るときのウエアのコーディネートは金谷が決める。米澤は「プレースタイルも似ていると思うんですよ。そんなにどっちも距離が出るタイプでも、そんなに“ガンガン行く”タイプでもない」と先輩との共通点を挙げた。だから「似ているからこそ“何か”が僕には足りないと思うんです」と言った。
プロになってからの長いキャリアを考えれば、いつまでも見上げてばかりはいられない。言葉に焦燥感が滲む。
「その何かが分かれば……その何かが分からないから苦労しています。でも、一番いい手本が目の前にいる。金谷さんはすべてゴルフについて考えながらやっているという印象がある」
ゴルフはスイングや弾道の豪快さや美しさを競う採点競技ではない。「なぜか分からないけど、スコアは少ない」という強さは、このスポーツの勝敗を左右する本質だ。
「ゴルフは甘くない、厳しい世界」
技術はもとより強靭な精神力ばかりが目立つようで、金谷はエリート街道を突き進むなかで、日々の事象を真摯に受け止めてきた。
2週前の学生の大会では団体戦で初日のスコアが振るわず、翌日にレギュラーメンバーを突然外された。「初めてでした」と言うが、そのとき「自分には驕りがあった」と素直に解釈した。その姿勢は後輩にも伝わる。米澤は「ある意味では、金谷さんもヒトなんだなって。マシーンみたいだと思っていたんで。誰にでも悪いときはある。僕にそういうことがあっても当たり前だと思った」とうなずいた。
男女のゴルフ界ではたびたび、世間との認識にズレが生じるのだが、金谷は今を時めく畑岡奈紗や渋野日向子と同じ“黄金世代”にあたる。今年はその同い年の選手をはじめ、2つ下の中島と同じ“プラチナ世代”もプロツアーを盛り上げた。古江彩佳がアマチュア優勝を飾り、直後に安田祐香らがプロテストを通過した。
一方で、ナショナルチームで一緒だった実力者でも“不合格”に終わった面々に目が行く。中島は「ゴルフは甘くない、厳しい世界だな……と金谷さんと話していたんです」と明かす。世代を引っ張るエリートは、早いうちから海の向こうに目をむけつつも、しっかりと足元を見て日常を過ごしてきたのだった。
後輩も見守ったイーグルチャンス。
表彰式のおよそ1時間前、金谷はタイトルを争ったショーン・ノリスに1打ビハインドで終盤に入っていた。残りは4ホール。自分のプレーを終えた中島はリーダーボードを眺め、ペットボトルのお茶を口に含ませて言った。
「ウィニングパットを観に行きます。1打差、いけますね。(金谷は)ここから強いと思います」
相手がプロであろうと、兄貴分の逆転を疑っていなかった。
米澤もまた、自身のホールアウト後に応援に加わっていた。18番、金谷が「ミスショットだった」という池越えの第2打にロープサイドから「GO!! GO!!」と声を浴びせ、7メートルのイーグルチャンスに拍手をして喜んだ。
「僕もきょう、同じようなところから(イーグルパットを)入れたんです」
グリーンに向かって再び歩き出して続けた。
「だから、決める」――。
歓喜の瞬間は数分後に訪れた。

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